新年の挨拶「明けまして」について考える

 新年の賀詞は書面に表せば四文字や二文字で記されることも多いが、挨拶として交わされる場合は「新年明けましておめでとうございます」と言われることが多いように思う。この「明ける」という言葉、広辞苑に拠れば①明るくなる、夜が終わって朝になる②日や年があらたまる③期限が満了する、終わる、とある。新年の賀詞はこの②の意である。しかし、昨年末、北山修著『心の消化と排出 文字通りの体験が比喩になる過程』を読んだ際に、(人は)濁っているものよりも澄んでいるものを貴ぶ傾向にあり、闇よりも明るい方が安心というのは常識と言えそうだ、という記述に行き当たった。さらに「あきらめる」とは「明らめる」であり、「明かにする」ことは断念することであるにも拘らず、人は執拗に「明るくすること」をあきらめない。そして神経症的な症状として精神科医のところに持ち込まれる、と続く。「あける(明ける・開ける・空ける)」の語源は「アク(何もない状態)の下一段化」で、アケルとなった語。何もない状態になることを意味する。また「諦める(あきらめる)」は「明らめる(あきらかにする)」が語源と記されている。

 年末恒例の忘年会は、その年の苦労を忘れ新しい年に向けての仕切り直しである。そして何もない状態として新しい創造の年を迎えた喜びを伝える挨拶「明けまして」。この「明けまして」には、いわゆる両義語として新しい年が「明けた」ことに加え、昨年からの気掛かり事を整理して新しいことを迎え入れるために「明らめる(諦める)、断念する」という解釈が含まれているといえよう。

 すでに一月は去り、早や二月。未だ昨年来の、あるいはそれ以前からの積み残しに四苦八苦されている方も中にはいらっしゃるだろう。かく言う私も例外ではない。「明」あれば「暗」あり。「明」とは明るい天体の代表である「日」と「月」の組み合わせである。わからないものをわからせるために、暗いところも明るく照らしわからせる。しかし時には、「明らか」にできないこともある。否、多いかも知れないと認識を改める必要があるように思う。「明けまして」とは、日や年が改まることであれば、いつもは元旦が強調されることわざ「一年の計は元旦にあり」の前文である「一日の計は朝にあり」にも重きを置き、新しい一日の始まりには「明らめる」べき事は明らめ整理し、新たな計画を以て事に当たる姿勢が重要ではなかろうか。「明らかにすることと明らめること」のバランス感覚を養い事物に執着せずに日々過ごしたい、と思う。

心身健康アドバイザー
谷口 和美

参考文献
北山修:心の消化と排出 文字通りの体験が比喩になる過程,p4,創元社, 2005(1988).
新村出 編:広辞苑 第6版,p36,岩波書店,2008.
増井金典:日本語源広辞典,p15,p19,ミネルヴァ書房,2012.
加納善光:常用漢字コアイメージ辞典,p1053,中央公論社,2011.